なぜか薄葬を望んだ-相反する二種類の遺体観

古代の葬儀についての史料は、
どうしても天皇に関するものが中心となってしまうのだが、
それらを見ていると興味深いことに気がつく。

多くの天皇が薄葬にすることを遺言しているのだ。

たとえば、
初めて火葬にされた天皇である持統天皇。

『続日本紀』によれば、
「葬儀の儀礼については、
つとめて倹約にせよ」(宇治谷孟訳)と遺詔されたという。

次々代の元明天皇は厚葬を批判。

少し間があいて嵯峨・淳和・仁明・文徳・清和・醍醐天皇などが薄葬にすることを願っている。

淳和天皇に至っては、
魂は天に帰るのだからと言って、
火葬後の遺骨を粉砕して山に撒くよう命じている。

かっては仁徳陵のような巨大な墳墓が天皇の墓所とされていたことを考えると、
これは歴史的事件といえる。

どうしてこれほど天皇が薄葬を望んだのかは、
謎というしかない。

先にも述べたように、
貴族の葬儀は豪著に流れ、
朝廷の批判を受けるほどだったのである。

天皇の葬儀についても、
天武天皇や聖武天皇のように厚葬にされている例もある。

中央集権体制が天皇の聖性を一つの存在基盤としている以上、
体制維持のために天皇の葬送は荘厳であることが望まれたはずである。

即位と葬儀こそが権力の大きさ、
強固さを示す最大の機会だからだ。

それゆえ、
薄葬を行なうということは、
体制の弱体化を疑わせる危険性がある。

それにもかかわらず、
なぜあえて行なわれたのか。

仏教の影響は当然想像されるところであるが、
それでは仏教に帰依し出家までした聖武天皇が薄葬にされず、
火葬もされていないことの説明ができない。

嵯峨・淳和天皇の薄葬については漢の制度の影響も指摘されているが、
それだけのことで天皇の散骨が行なわれたとは考えにくい。

あくまで仮説だが、
日本には相反する二種類の遺体観があり、
それが社会的状況や政治・宗教的立場などによって、
一方が強く出るということがあるのではないだろうか。

その二種類とは、
遺体に霊性を見るものと見ないものである。

霊性を見ない立場からすると、
人間の体は霊魂の容れものにすぎず、
霊が分離した死後は廃棄物同然になる。

しかし、
霊性を見る立場からすると、
その供養なくして死後の幸福はありえない。

やっかいなのは、
この二種類の遺体観は、
遺体をめぐるさまざまな場面に混在して現われることだ。

たとえば、
火葬においても、
遺体処分としての面と保存(拾骨)の面の二種類の性質が同居している。

現代の日本人の中にも、
この二つの意識は併存していて、
それが葬儀に対してアンビバレントな感情をもたせているのだと思う。

さて、
こうした薄葬・厚葬の振幅を経ながら葬儀の仏教色は急速に濃くなっていくのだが、
通説では仏式葬儀第一号は聖武天皇だとされる。

前述のように聖武天皇は火葬にされていないので純然たる仏式であるかは疑問の残るところだが、
大々的に仏教儀礼を採り入れたという意味では画期的なものだったと言えよう。

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8 Comments

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